『ストライクウィッチーズ劇場版』

・そもそも何で芳佳ちゃんをまた飛ばすん? というアレ。感想の9割くらいはこれ。思ってた以上に二期最終話のオチが気に入ってたんだなあ、と遅れながら自覚される感じの。
・在るべき軍人の姿を追い求める新兵と、理屈と規範では到底捉えきれない英雄……という構図ではあるんだけど、どうも道筋が一直線に繋がってない印象が拭えない感じ。いや、ひたすら教練通りに動いた結果として堕ちる服部さんと、アドリブで全力を尽くした結果として飛べないながらもネウロイを退けた芳佳ちゃん、という対比は綺麗に決まっているんだけど、ぶっちゃけ服部さんって必要なキャラだったの? という印象が非常に強い。
・服部さんの思考の変遷とか語られなかったせい、ではあるのかな。芳佳ちゃん負傷前に服部さんがまともに会話してたのってペリーヌさんだけで、あれだって夕食の負い目と立場の違いから萎縮しきった上でのそれで、その後はひたすら芳佳ちゃんとは没交渉。結局、服部静夏ってキャラが何を考えていたか、彼女はどんなキャラクタだったのか、ということを知る機会が殆どなかった。ペリーヌさんとの会話で生い立ちと行動原理は判ったけれど、それは筋立てから推察されるもので、それ以上のものではない。
・芳佳ちゃんの復活劇を描くためには芳佳ちゃんが護るべき対象がいればいいのであって、極論すればそれは逃げ遅れた街の人ですら構わない。だからこそ、憧憬が先行し、後に失望と嫉妬が入り混じった感慨を彼女に抱く服部静夏軍曹というキャラクタを導入したからには、そこでは二期で描かれた空を飛ぶこと≒他者を護ることの継承が形を変えて繰り返されるはず―――と脳味噌が勝手に期待していた、というのはある。いや実際ラストでもっさんと会話をしていて、服部さんはストライクウィッチーズのようなウィッチを目指すんだろうな、と頭では理解したんだけど、どうにもしっくり来ない。筋書きレベルではちゃんとしてるんだけど。
・赤城での消火にせよ土砂崩れの街での治療にせよ土管型ネウロイとの接敵にせよ、撤退を提案する服部さんと振り切る芳佳ちゃんってモチーフは繰り返されていて、あれが芳佳ちゃん復活で途切れたような印象が強いのかな、とか。脳内シミュレーションした感じ、たとえばあそこで魔力は戻ったけど傷はそのままで、それでも最低限の治療だけして飛んでしまう宮藤芳佳と、その戦闘を支援する坂本美緒、彼女らを制止し切れず見上げる服部静夏、という構図であれば、たぶん、違和感の一端は解消されるはず。
・魔力復活よりもむしろ傷全快にこそもにょってたのかな、と後から気付く感じの。
・芳佳ちゃんって「飛ぶな」って言われながら飛ぶ姿がとにかく印象に残ってて、だからみんなの待つ空へ歓迎されるってのはすごい齟齬った。状況や上官が許さない場でも、護るべきもののために飛ぶということ。規範を旨とする服部さんとの関わりって意味でも、そうしておくのが自然だったのでは、って気はする。
・しがらみを振り切った自由の象徴としての空、というのはそれなりに描かれてきたことだと思うので。
・いつか、届く、あの空へ。という言い回しが頭をよぎったといいます。

・以下よかったところ。
・序盤のシャッキーニ/赤ズボン隊の共同オペレーションの素晴らしみ。街並みを縫うような作画は映画ならではの作画リソースぶっこみパワー感があって大層よかったという。
・ハイデマリーさんの戦闘の美しさ。一期6話のリフレインではあろう。あそこでネウロイが宙返りしてたので今回のネウロイは今までのウィッチの戦闘を全て模倣する感なのかな―とか思ったという。ライン川を潜って越えてたのはハンナ回のアレだろうし、とか。つまりネウロイが烈風斬をだな。
・芳佳ちゃんとリーネちゃんの絡みが部外者の目を前提にするとすごい末期的で超えろいやらしいのでもっとやればいいもっともっとだァという感じにならざるをえない。
・ペリーヌさんが綺麗ですごいきれいだと思った。芳佳ちゃん―もっさんラインがどうしても付きまとうので嫉妬キャラのイメージが付きがちだったのかなーと。
・地中から射出されるネウロイの外連味。大層シンプルで美しい処理。レーダーに引っかからない→自然発生やな……間違いない……とか考えていた自分がアホかと思った。
・生身の芳佳ちゃんが機関銃を重たそうに持ち上げる表情の必死さ。魔力がないということの意味を残酷なまでに映像で伝えてくれた。