『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』

 寝る前に散漫に書き残しておく。ほぼ自分用メモ。いずれ清書するかも。
 
まどマギ本編はおそらく「ありがちな魔法少女ものへのメタ」ではなく「『ありがちな魔法少女ものとして想像されはするが実際に存在はしないベタベタな魔法少女もの』へのメタ」という文字に起こすとややこしい位置にあって(実際には様々な用語・舞台装置を魔法少女ものに用いられる用語として読み替えたもので、メタとしては他ジャンルへのメタとして読まれるべきだろう)。
・劇場版の冒頭はそれを更に裏返すことですごい魔法少女っぽくなっているのだなー、という印象がある。当たり前なことですね。
・変身シーンですごい踊る。オープニングでもすごい踊る。あれが仮にほむほむの考える魔法少女像の具現だとすると(ここらへんは何とも断定しにくいんだけど)、マミさんよりも数段、夢見がちなセンスである。
・マミさんあんこちゃんと来てさやかちゃんはどんなダンスで変身するのかなーと思ったらブレイクダンスからの全力疾走で内心ウッヒョー。さやかちゃんの恋は走りだすことすら出来ずに終わってしまった訳です。代替として縋った魔法少女としての使命も残酷な真実に彩られていて、走り抜けるには過酷に過ぎた。そんなさやかちゃんがクラウチングスタート魔法少女の自分に向かって走るんですよ劇場版では。もう超エモい。
・ナイトメア戦は協力プレイでの戦闘から伝承童謡めいた止めのシーンまで全体的にポップでファンシー(語彙貧弱)に固められてるんだけど、変身シーンで各キャラかなり意味深だったり不穏だったりするカットが入ってた(割れる硝子とか人間の目とか)。その時はなんだろこれと思ってたけど、まあ、最後まで観ると色々示唆してたんだなーと。
・変身に限らず、前半の描写はまともな世界に混ぜ込まれた不穏さがいい感じに利いてる印象。
・ただ、見滝原自体がアニメ本編でもよくわからん都市だったので、街の描写に関してはどこから不穏な/異常な描写なのかの区別がつかなかったというのはあり。飛行船が大量に飛んでたりヨーロッパめいた運河で船に乗れたり。流石に赤い霧と林立する風車のあたりは明示的におかしかったけど、境目が。
・おかしな描写をぜんぶほむらちゃんの妄想或いは願望として読むことによってすごい残念な感じになる。基本的にはほむらちゃんの心象世界みたいなものだと思うので、新しく生えてきた設定はだいたいほむらちゃんの手によるものだと考えているのだけれど、踊ったりとか童謡で悪夢を昇華させたりとかの設定を無意識に採択しているのだとすると、まあ、かわいい。
・ほむマミ戦闘のマミさん超つえー。
・「強いマミさん」を存分に描いてるなーという感じはある。本編のマミさんが寄る辺のない使命を受け入れる為に「ベテラン魔法少女」というロールを積極的に演じていた(正義の魔法少女というロールを演じないと人生に意味が生まれない)のに比べて、劇場版のマミさんはそこら辺の心象を自ら解体、懐かしむ程度には変化を経てきている。そして油断して死んだ本編と謙遜しておいて超強い劇場版との対比である。
・完全にガン=カタな戦闘シーンだけど、まあ銃器使いがタイマン張ったらそりゃ早撃ちを競うか遮蔽物使って撃ちあうか射線を見切ってギリギリ躱すかって話にしかならなくて、ガン=カタと化すのも致し方なし。
・やり残しをやってるんだなー、というのはいろいろなところにあって(そりゃ新作劇場版だからね)、魔法少女全員の団結、仲睦まじい杏さや、あとは終盤の二人弓矢なんかもそうかな。本編に突っ込む尺が余ってたとも思えないし。
・ただ二人弓矢に関しては、ループの中であったかもしれない絵ではあるので、厳密には本編になかった要素とは言い切れない。初回はああやって戦ってたかもね。
・QBが喋ると一気に世界観がつまんなくなるなー、という本編にも感じたアレ。それっぽい物理用語で補強された世界観より魔法少女の視る夢の世界の方が強いので、理屈付けられた時点で世界そのものが縮減したような感覚を抱かされる。実際には一人の人間の内的世界から宇宙規模へと話が広がってる筈なんだけど、まあ、宇宙より少女の方が強いからね。
・QB氏が弓の雨にドカーンされるときに「わけがわからないよ!」って一斉に言うのすごいMAD動画感あって爆笑ものなんだけど(エルシャダイ感ある)、感情がないし個体差もない生物なので同じ場所で同じ攻撃を受けたら同じタイミングで同じことを言うよねという理に適った演出なのかなと一頻り楽しい感じになってから気付いた。でも笑えるだろアレ。
・ほむら氏って強度高いキャラに見えるけど実はたぶんそんなことなくて、よくも悪くも三つ編み眼鏡の頃からそう変わってないっぽい。大人びている、精神的に強い、というのはだいたい(元からあまりない)コミュニケーション能力を切り捨てて単独行動にパラメータ振ったくらいのアレで、ループキャラとしてはむしろ不自然に完璧じゃないくらい未熟な部分をそのまま残してる。
・マミさんを説得しようとする時の手慣れてなさとかその最たるもので、「これは魔女の仕業なの!」と段取り無しで叫ぶのでそりゃあマミさんもあなた大丈夫? って感じの反応を返すしかない。本編でも当初はミステリアスなキャラとしての演出に寄与してきた台詞が後から考えると単に交渉して人間動かすの大変苦手なだけだったねという例に事欠かないキャラなので、平常運転ではあろう。
・そこへ行くと、マジで言ってんだな? の一言で信用する佐倉杏子氏のすごいいい子っぷりに思わず笑みが漏れる(あのシーンのほむら氏すごいコミュニケーション能力高かったなーと観終わってから思ったんだけど、某氏の「当初の三つ編み眼鏡時代だとあれくらい説得できるのでは」という指摘に納得)。
・ラメーン奢ってもらう為に行くんだからな! というエクスキューズを設置することで相手の申し訳無さを低減すると共に何もなかった時の楽しみも用意しておく気遣いっぷりに普通に尊敬の念を抱いた。あんこちゃんすごい気持ちのいい人間だな……。
・終盤の世界改変シーンすごい旧劇のkomm,susser tod流れる場面っぽい(なんでもエヴァ認定マン)。
・ティロ列車砲フィナーレすげーかっこいい。核バズーカかよって爆破半径にクソワロを禁じ得ない。
・イヌカレー演出でないオクタヴィア氏、すごい味方ロボっぽい。かっこいい。
・オクタヴィアの使役は絶望の超克という感じですごいエモい。あの絶望を経て美樹さやかは走り続けてきたんだ、という物語を勝手に読み込みたくもなる。
・施設の問題がどの程度あるのかわかんないけど音響すごい高音刺さって死んだ。特にQBの長話は本当にやめてほしかったよね。

・雑な感想はまだまだ出てきそうなんだけど、とりあえず一番もにょった点をちょっと書いとく。ほむほむの話。
・さやか氏とほむほむの問答を経てから魔女化が判明するまでの間、ほむほむが結界内で演じられてきた穏やかな魔法少女としての生活「そのもの」には自分では特に価値を見出だしていなかったように見えて、それが少しこう、無惨だなーと。世界の謎を解いてこの世界を終わらせてしまうこと自体への躊躇はあるんだけど、それはさやかやマミといった他の魔法少女が楽しげに過ごしている空間を壊していいかという逡巡であって、自分のことはその輪の中に繰り入れて考えていないっぽく見える。ここに至ってまだ、暁美ほむらは局外者として振舞っている。(この時点の認識としては)既にループ者ではないのに、だ。
・「また自分だけの時間に逃げるの!?」というさやかちゃんの叱責が虚しく思い出される。時間停止って断絶の象徴としても使われてきたんだなー、と今更気付くこの遅さよ。
暁美ほむらというキャラが輪の中に入れた時―――周囲から見て、ではなく、本人の主観として入れた時―――その時初めて、まどか☆マギカという話は終わるのかなーとか、そんなことを思った。そうであってほしい、という願望に過ぎないけれど。鹿目まどかによる救済は彼女を歪めてしまった。そんなことを、思う。
・彼女のためにという祈りは、彼女のせいという呪いに容易に転化する。呪いを打ち払うのは魔法少女の祈りだ。そういう世界観だった筈、でしょう?
・という訳で続編ないとだいぶ萎えるのでお願いします。

・総じて「一人ぼっちになっちゃ駄目だよ、ほむらちゃん」に集約されるオチではあったな、と。皮肉が利いてるネ!(鼠顔で